ミュシャ展

 先週、ほーじろー君と一緒に東京都美術館に行ってきました。好きなんですよ、ミュシャ。100年前に描かれたものとは思えない、その萌え絵っぷりときたら!現代の萌え絵師に通じるものがあるのではないかと勝手にカテゴライズですよ。特に圧倒的に女性の絵が多い点なんかにそれを感じることが出来ます。自分だけかもしれませんが。まあ野郎なんか、描いても見ても、ちぃとも楽しい気分になりませんしね。えぇ、えぇ!女性おんりぃ全然OK、その意気やよし!ってもんです。
 ……(鑑賞中)……風景や枠の図柄と上手く調和のとれている、流れる様な服や髪の表現がとても綺麗です。ショートも悪くないけど、こういう絵の場合、やっぱり長い髪の方が見栄えが良いですね。で、ミュシャの絵って「流れ」の表現が重要っぽいなあと*1。世界を構築する自然的なモノ、植物や川や大気なにかを、”絵”という一つの仮想空間、別世界に表現する際、曲線主体のモチーフ群とマッチさせるには、直線で構成されている男性よりも、”流れ”、つまり曲線で構成されている女性の体の方が良いということなのかなあ、とか。む?!じゃあ、ぼんっきゅっぼんっが好まれるのも、まろやかな流れがより具体的に強調されることで、自然との調和が増し安心感を得ることができるからなのかも!*2
 作者はチェコの人でした。かつ、もじゃ。このむくつけき厳格そうな叔父様が描かれていらっしゃったとは、かなりの驚きです。もじゃ。というのも、絵柄に興味はあっても、由来、作成年月日、作者の生い立ちまで知ろうと思わない質なので、てっきり、画風からは女流作家を、絵のモダーンな感じから50年ほど前の作品、という様なオレ設定を勝手に起想していたからなのです。いやはや、無知って怖いなあ。もじゃ。
 前期作品群である本業?であったポスター絵もさることながら、彫刻の技能まで持っていたことを知って二度吃驚。ていうか嫉妬(笑)。天ってのは、一人に二物も三物も与えるもんですねぇ(いいとこ自分にゃ汚物くらい。
 鉛筆画。細やかさに脱帽。♯ペンとか0.3mm製図用ペンとか無かった時代に、何ここまで描いてくれちゃってんのこの人は!!と言いたくなるくらい、緻密な絵です。ここまでくると「うわぁ」とか「はあぁぁぁ」とか、間抜けな溜め息しか出ないです。この驚きは実物を間近で見ないとわからないかも。本当に細かい線(+ハイライト)で構築された図案やデザインなんですよ?
 毒。え?そんな絵あったっけ。いやいや、もう、その場でオレ自身が、緑青*3か赤の絵の具で、口の中をアートに塗りつぶしてやりてえ輩がいたわけです。このくそ馬鹿ップル。だらしねえ格好以前に*4、ここはいちゃつく場所じゃねえ!外へ出ろ!いちゃつきを百歩譲ったとしても、その汚ねぇ手を美術品に近づけんな!彼氏の腕に壊れた衛星のごとくまとわりついて、白線の中に入るのをやめろ!ガラスケースにべたべた触んな!手脂で汚くなっちまったじゃねえか!てめえは犬か!*5
 とまあ、良い事も悪い事もあった美術館見学。やっぱり現実の人間より、絵の中の人間の方が良いよなー、という結論を持って終了(オイ。次回の珍日曜美術館は”ラ・トゥール”をお送りする予定(同時に見るはずだったのに、行った時間が遅すぎて、見る時間が長すぎて、閉館になってしまったのでした)。

*1:ミュシャに限らないんだろうけど

*2:うんにゃ、ただのスケベ心かと。

*3:ネットでみたら猛毒説は無くなったらしい

*4:野郎はえらい不細工でしたが、女の子の方はモデルみたいな子だったなあ。え、そんな、そんなことに理不尽さを感じて怒っているわけじゃ(笑)

*5:秋葉に移動している最中、犬が※字状に鼻を擦りつけまくったせいで、えらく汚い窓になっていた併走車を、ほーじろー君と爆笑しながら見ていた。