読書する自分と「黒神」に関する感想補足

 思うに、小説や漫画を読む時の自分には、2つのモードがあるですよ(他人はどうかしりませんが)。
 冒険モノやジュブナイル、青春モノ、熱血モノ、恋愛モノを楽しむ白い自分は、例えばそれらの話の中に、「良い人が食い物にされている」という”黒い要素”が存在してしまうと、拒否反応を起こし始めます。それでも加害者側がそれに無限倍する苦痛を受けるのなら、払拭もしくは溜飲が下がる可能性もあるけれど、最後まで無いのであれば、間違いなく駄作扱いをして2度は読まない/遊ばないでしょう(Fate/stay nightもそんな理由で2/3は遊んでも残り1/3を遊ぶ気にならない)。
 一方、EROやらダークな思考を要するモノを好む黒い自分は、そういった要素は大歓迎だったりします。ぶっちゃけ性欲処理*1に類する嗜好ってことですが(笑)。もちろん現実社会には出てきませんが、単なるリスク計算の結果そう振る舞った方が良い、という判断でそうしているのだとしたら...まあ普通の人間やね。
 さて先日の「黒神」ですが。
 ERO漫画でも無いし、表紙の女の子はファイティングポーズだし、「じゃあ白モード」ということで読み始めた訳ですが、それらを正す側の主人公が、終盤まで金に汚く、せびっている相手にも乱暴な口をきく加害者側(食い物にする側)である、ということが、今一物語を楽しめない障害として立ちはだかりました。
 なぜ障害なのか。
 次巻以降、食い物にしている所のお姉さん*2が、他のドッペルライナーの栄養分にされるために狙われる、という展開が読めるわけですが、一応、この主人公がお姉さんを助けると前提して、その行為がどういった評価をされるのか、と考えてみるわけです。すると、困ったことに「それだけ迷惑をかけているなら当然の行為でしょ?」という感想になってしまうわけで。つまり英雄的行為でもなんでも無く、単なる代償行為にすぎなくなってしまうのです。
 自分にとって、この微妙に低いテンションは、”物語を熱く読む*3”ことに対し、かなりの障害です。「うんうん、そうこなくっちゃ!」と「ふーん、そりゃそうだ」じゃ大違いだよね?
 これはあくまで自分内のとらえ方で、もしかしたら元神霊の女の子こそが主人公で、そんな野郎が主人公なわけねーべさ、というのが真実かも知れません。でも、そこら辺の判別が付けにくいキャラクターを、主人公に位置づけている構成こそが、物語の魅力を半減させている気もします。*4今の所、絵の魅力で買い続ける予定ですが、次巻以降はストーリーも昇華させて、あっさり古本屋候補にならないよう、頑張ってほしいところです。

*1:性欲じゃなくて性欲処理、違い?前者は現実世界、後者は妄想世界。

*2:従兄弟で幼なじみでまっとうな社会人。主人公を好きなのが欠点か?(笑)

*3:興奮して読む?

*4:どちらがメインか、未だによくわからない。バトっている最中って、肉弾戦を行うのは女の子で、野郎はパワーの源という関係ゆえ、女の子がメインに見えなくもないのだ