心は下流社会

 次の日休みってのはイカンよねえ。朝6時半まで起きちゃったり。で、ご飯も食べずに12時まで寝ていたり。...だめだー!この生活ダメすぎ!幸せだけどwなんかダメすぎだー!
 人物ライブ・スタメンでやっていたんだけど、
「年収<年齢×10万円」+「上昇志向無し」+「今の暮らしでそこそこしやわせw」=「下流くん」
なんだって。それを考えれば、最初の項を除く残り2/3該当ってことで、四捨五入すれば自分も「下流くん」じゃないかと(苦笑)。おまけに、サンプルとして出ていた3人の生き様が...そう、なんとなく理解できる気がするんだよなあ。
 「上昇志向」が必要とする「能力を得るために必要な(恐らく)楽しくはない行為(勉強とか運動)」や「他者との衝突・軋轢」に時間を割くよりも、身近*1な快楽や、趣味*2に時間とお金を割く。そして分相応のであれば「幸せ感」と「幸せ観*3」を得ることが可能になる、というわけだ。
 3人のうちの一人が「彼女が欲しいか?」という質問に「お金がかからなければ」と返していたように、もはや「家庭を築き子孫を残す」という、種の最終目的・継続すべき行為は、「多種多様化した趣味がもたらす快楽からの充実感」という刹那的行為を超えることは出来ない可能性が高い、ということが伺える。
 そして、人が生きる最終目的が「継続」ではなく「刹那の連続」に変わったことで、人生は無理をして続ける必要性を感じない「いつ終わってもいいゲーム」になり、ゲームを続けるために必要なリソースは「情」ではなく「金」に変わったのだろう。
 快楽は繰り返す回数が多いほど慣れ、さらに上位の快楽でなければ満足できず、しかし有限でもある。最終的には飽きる、とまではいかなくとも惰性や慣れに変化し、執着のほどは薄れるだろう。それゆえ、これは想像だけど、「下流くん」に核爆弾のボタンを手渡した場合、ゲームが終わった、読んでいた本のシリーズが終わった、アニメやドラマが改編期だ、とかのタイミングであっさり押すんじゃなかろうか。というのも、刹那的ということは、裏を返せば「継続して何かを続けたいという意思が少ない」ということであり、それはすなわち、執着するものが少なくなったり、または無くなっりした世界の存続を必要と感じない、という事と同意ではないかと思うのだ。怖いことだが。
 なんてまじめに考えてみたり(笑)。全然解決にはならないけど。ただ思いつく解決策はあるんだけど、
「世の中が不便になること。主に情報伝達関係。」
じゃあなー(笑)。昔のように不便になることで、大規模コミュニケーションの取れなくなった人間達は、不安から隣人との距離を重んじるようになる、というわけだ。天変地異でもおきない限り、いまさらそんな時代には戻れないし、そこまでして守るべき種でも無い気はするけどね。

 そんなこんなで、今日の御託は終わり。

*1:これがであればあるほど経費は少なくて済むのだよなあw

*2:だからこそ本やらゲーム・TV・プラモが選択されるわけだw

*3:幸せってのはこんなもんだ、という見方