ファンというもの

 前にも言ったことがありますが、自分は
「人が身勝手な欲の為に、行動を起こすのは普通」
だと思っています。こんなにも打算で動く生物はいませんから*1。ただ、その行動を正当化しようとする人間は、輪をかけて嫌いなのです。「追加効果:断罪」という余計なおまけをつけたくなるくらい(笑)。
 いつも使っている例をあげると、
「彼の仕事は終わっているが、後5分で残業時間がワンランク上がる。そんなシチュで彼はどう行動するか」
 ・果たして彼はさも意味ありげに、しかし全く無意味な行動を繰り返しつつ時間をつぶすのか
 ・はたまた「残代欲しいんで後5分時間つぶしていいですか」と正直に言うのか。
 自分にとって、前者の人間は”からかい”と”断罪”の対象です。
 なぜなら、何をしようが「無為に残代を払う」という行為は、会社にとっては悪い存在、不利な行為だということは確定しています。唯一の正当な行動は「帰宅すること」以外ありません。ですが本人は会社に対し、さも誠実であるように行動している。実の伴わない行動を正当化をしようとしている。見る者がみれば欲望丸出しな浅ましいピエロ同然の行為なのに。
 マテラッツィ擁護派のしていることは、まさしくそれなのです。
 先日、一つの意見をもらいました。ワールドサッカーには特にこれといったチームに思い入れのない、でもスター選手が試合後にエールを交わす姿は感動するなあ、という見方をしていた友人M谷君との会話です(3Fの彼ね)。
M「確かにジダンの頭突きにはビックリしましたね」
DT「そうやね」
M「あれは相手の選手が悪いですね」
DT「どうしてそう思う?」
M「何を言ったのかは知りませんが、内容どうこう以前に、その選手が挑発さえしなかったら、普通に試合は進んだんでしょう?だったら挑発したほうが悪いに決まっているじゃないですか」
 これがサッカー熱に犯されていない人間の思考パターンです*2。まあ当然ですな。
 つまり、これが頭突き事件の本質だと据えてみれば、自ずと答えは出るわけです。
 マテラッツィ擁護派、ジダンMVP否定派の人たちは「サッカーの試合中に起きたことなのだからそう処理してくれ」と言いたがる傾向にあります。なぜか。それは、まさしくM谷君いうところの「挑発しなければ何も起きなかった」「原因があるから結果がある」という「根元的、絶対的な基準」と照らし合わせてみた時に、「マテラッツィの挑発行為こそがスポーツ選手としてふさわしくない」という答えしか出てこない事を、本能で悟っているからです。気付いてないでしょうけど(笑)。いや気づきたくない、が正解かな。
 そうですね。ては、マテラッツィ擁護のために「挑発しなければ何も起きなかった」ではなく「挑発はサッカーでは当然のことである。だから怒ったジダンが悪い」としてみましょうか(ていうか命題が単純な為に、他に正当化しようが無いのですが)。
「なるほど、イタリアでは勝つためにはそうしろと、子供の時から教えているんですね。そして、試合中『お前の母ちゃんデベソお前の母ちゃんデベソ...』という、と。なんて荒んだ試合なのでしょうか!それともイタリアサッカーのルーツはカバディですか?」
...とまあ、自国の子供まで荒んだ人間扱いされるのが目に見えるようです。で、
「そんなことはない」
「じゃあ悪口解禁は何歳からですか?」
と失笑混じりに切り替えされる、と。
 こんな風にマテラッツィの挑発行為は、別次元の話に責任転嫁しない限り、なかなか潔白にはしにくいものなのです。特にジダンの「身内の名誉を守るためにやった」という大義名分が崩れない限りは*3。まあ「悪いことを言ったらお尻ぺんぺん」という、あくまで普通の、幼稚園児でもわかる風習が存在する日本人からすれば、ですが(欧米の善悪基準は宗教と民族風習が絡んでくるのでわからねえんだけども)。
 そもそもM谷君のように”偏っていない”普通の人間はジダンが被害者だと理解できますが、思考が”偏っている”ファンという存在は、まともな思考が出来ないものなのです(当たり前すぎですか?w)。それは、自分が神格化したものに対して、何においても弁護する*4ためには、常に問題の本質から目を背け続けなければならないからです*5。だから「サッカーの枠”だけで”問題にしてくれ、サッカー外の一般常識と照らし合わせないでくれ」と問題をすり替えて懇願してしまう。善悪の基準をぼかしたがる。少しでもマテラッツィを弁護している、有利にしてくれる、ジダンのMVPを否定してくれる、そんな記事を探し、あれば安心してしまう。
 ぶっちゃけ、変な言い訳しないで、イタリアファンにはこういって欲しかったんですよ。
「ああ、そうですよ、イタリアサッカーは汚いプレー多いですよ(おかげで不正試合も見つかっちゃいましたよ)。そう読売新聞にも書かれちゃいましたよ。マテラッツィは卑怯なヤツですよ。ジダンゴメンなさいですよ。でも。勝ったからいいんだー!何言われても平気さ!おれはイタリアが好きだから!イタリア優勝万歳!!」
と。とかね(笑)。そうすりゃ(少なくとも自分は)
「あっはっは、イタリア人気質ってのはバカでしょうがねえなあ。マテラッツィも、おあいこっちゅうこって、ちとクサイ飯でも食って反省してこいや。」
と終われたんですがねえ。

 そうそう。「マテラッツィは母親思いの青年で...」という一文を使いたいのなら、「彼の侮蔑の言葉は日本でいう『お前のかあちゃんデベソ』程度の...」と例えるのはちょいマズかろうて(爆笑)。言質を取ってくださいといわんばかりでありますよ。

*1:もちろん他人に迷惑がかからなければ良く、かかるなら軽蔑するか実力行使で止めますが

*2:彼が狂っているかもしれないというのは無しw。ていうか我らよりかなりまともな人だ。自分が誘導したというのも無し。生の意見を聞くのにそんなことやったらつまらんがな。

*3:もちろんジダンが自ら言う通り、「読唇術でもなんでも用いて解析してくれ」といった結果が、現在の主張通りであれば、ですが。だからマテラッツィにだって無罪の余地は...ある...と思いますが、まあ日頃の素行の悪さから言っても「挑発行為がジダンから」という可能性が少ないのでなんともいえません。人間日頃からまじめに生きないといかん、という良い見本ですな。

*4:なぜなら、そうしなければ間違った存在を信じた、そして好きになった自分も、同様にダメな存在だと思われる、という恐れからであります。単に騙された被害者でしかないのですが。

*5:もちろん本質と神格対象が一致している場合は怖いもの無し。