がくえんゆーとぴあ まなびストレート! 第11話「わたしにもみえるよ」

 全く感想じゃないんですけども(笑)。

 各所のレビューをみれば、やっぱり、というか当然のように比較対象(対バン?w)はハルヒですね。「誰もが想像できる」事態でありましょうに、よくぶつける気になったものです、ユーフォーテーブル。今後の他のアニメ会社の為にも、その敢闘精神は褒めてあげたい。巷を席巻する、「ハズレ無しの京アニ」に挑むなんて、まなびを含めてホント素敵な大馬鹿(褒め言葉)野郎達じゃあないですか(笑)。
 そもそも、「文化祭でバンド。曲はロック(ポップ?)」なんてシチュエーションは、別にハルヒの専売特許じゃないのだから*1、小説、漫画、アニメ、映画etcにおいて、誰がどの作品で使ったところで「流用」とか「マネ」とか言われる筋合いはないと思うのです。シチュエーションがかぶった*2からといって、「出来の良かった先達に遠慮する」なんて馬鹿げた話だし、逆に「それらに類する表現を使うな」と主張したがる渡辺オ○ナー的(笑)傲慢なアニメファンは、アニメ界にとって有害じゃないかと思うのですよ?
 だって、出来の良い作品が出現するたびに、似た表現は全て「流用」と主張されたら、今後作られるアニメの中でそういった表現を使いたくても、叩かれるから作りづらいし、比較されるのが分かっているから作りたくないだろうし、我々だって見ることが出来ない、ってことですよ?簡単な話だと思うんですけど。*3
 ただし『バンドのシーンから「まなび」が出来たのだ』と、ユーフォーテーブルのスタッフが言ったのなら話は別です(笑)。でも、今まできちんと見てきた人に、そんな考えが、浮かぶわけもないんですが。
 前から思っていたのですが、原作無しの作品を手がけるようになってから、フタコイオルタ*4、コヨーテ、まなびと、この会社って、権威とか権力とか偉大なオヤジとか*5、でかい壁を越えようともがき足掻く姿を描く、ぶっちゃけ「青臭い」お話が好きですよね。更に付け加えるのであれば、物語の後にビジュアルを、またはビジュアルが先行しているにも関わらず、そのビジュアルに引きずられない物語を作る、というビジュアル先行型が受け入れられやすい現代のアニメ界にはそぐわないスタイルを貫いている、そんな気がするのです。
 もちろん世間の評価からすれば「今一」になっちゃうわけですが。もしかしてユーフォーテーブルという会社は閉塞感のあるアニメ界で、孤立しながらも頑張っていこうと足掻き続ける、格好悪いけど何かを期待したくなる、そんな若い会社なのかもしれません...

と、まなびの歌う姿を見ながら思うのでした(笑)。でも校歌はロック(ポップ?)より全校生徒がアカペラで歌った方が感動的だったと思うんだけどなあ。自分が演出するなら迷わずそうするんですけど。

 文化祭の案内にちゃんと校歌が書いてあって。歌詞なんか無くても聞き覚えちゃう子供が最初に歌い出して、段々とお客さんも一緒に歌い出して。で「この学校に通おう」とか女の子が思ったり、お母さん(OBだったりして)に言ったり。そんな光景を愛おしげに見る園長先生がいたり。

オーソドックスだけど、この方が良かったと思うんだけどなあ。でも、敢えてあの歌にしちゃうのがユーフォーテーブルのあか抜けなさ、というか”らしさ”なんでしょう(笑)。チーム制のスタイルでこの程度の案が出なかったハズはないし、やっぱスタッフの総意で「ハルヒ的演出への挑戦(決して『あやかって』では無い)」を選択したんだろうなあと想像すると、うーん、青い!青いったらありゃしない!(笑)

最終回。期待して待ちましょう。

と思ったんだけど、校歌で始まったように、もし終わりも校歌で閉めならば、それで正解かも?うん、どっちにしても早くみたいな最終回。

*1:信者はそう言うのでしょうけど

*2:物語に対する意味合いからは全くかぶっていませんが

*3:それともハルヒだけをリピートして見る気なんでしょうか?

*4:これほとんどキャラだけですよね?w

*5:イカ人間とかw